京阪園芸の伝統 – 001 枚方といえば菊人形

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京阪園芸の伝統Traditional Culture

「枚方と言えば菊人形」そう全国の方々から言われるようになった歴史に
京阪園芸がどのような関わりがあるのか?
川井 ゆう氏「受け継がれる技、日本の園芸力」
(ガーデナーズ通信Vol.12 2017年秋冬号)からの転載記事でご紹介致します。

枚方といえば菊人形

菊人形番付 大正元年(1912)、枚方に移った年の菊人形番付。
見にくいが、右下の職人紹介の中に「菊培養師」がある(筆者所蔵)

菊人形に用いられる菊は、花屋には売っていない。「人形菊」といい、特別に栽培されている。小菊から品種改良されたものである。

少し遠回りをするが、話を続ける。菊人形は、江戸時代からつくられている。明治時代になって、入場料をとってみせる「興行」になった。

入場料をとるからには、完成度を高くしなければ、お客さまは来てくれない。職人技を結集させた。園芸の側面からは、人形菊の改良が必要だった。それを名古屋の「菊人形屋」が最初に工夫した。その人形菊を用いて、明治43年(1910)に香里遊園で第1回菊人形展が開かれ、人形菊栽培の技術が伝授された。会場は後に枚方に移るが、菊人形展は京阪電車の創業時から共にあった。

菊人形展のパンフレット 昭和30年(1955)、京阪園芸が設立された年の菊人形展のパンフレット(筆者所蔵)

百年以上が経過した現在、京阪園芸では現在も菊人形の栽培技術を継承している。京阪園芸(京阪ひらかた園芸企画)が会社として設立されたのは昭和30年(1955)。すでに60年を超える歴史がある。しかしそれは造園「業」の始まりであって、それ以前に何もなかったわけではない。設立の40年以上も前から、京阪の「園芸」は始まっていた。

ところで、枚方は難読地名なのだそうだ。
でも、地元以外の人に「ひらかた」と読める人がけっこう多いと聞く。それはなぜか。

「枚方といえば菊人形」と、全国に知れ渡っていたからである。
起源は江戸(東京)だし、人形菊の嚆矢は名古屋。それに明治時代から昭和時代まで、日本全国のおよそ400ヶ所で菊人形展が催されている。にもかかわらず、枚方の菊人形展は日本中で有名だった。

昭和30年(1955)のパンフレット内に描かれた園内地図 昭和30年(1955)のパンフレット内に描かれた園内地図

長い興行実績があることも一因かもしれない。ただ、京阪の培養師は、菊を着付ける「菊師」の求める人形菊に、栽培で応えようとした。相手がままならぬ植物であるにもかかわらず。すると、菊師は腕をふるってさらに完成度を上げた。人形(彫刻)師、背景師、大道具師たちも負けてはいられない。するとまた菊師が、そして培養師もまた……。その繰り返し。
 京阪園芸の設立の背景には何十年という職人たちの切磋琢磨があった。

文章:川井 ゆう

1964年大阪府枚方市生まれ。菊人形研究者。博士(家政学)。
著書に『わたしは菊人形バンザイ研究者』(新宿書房)がある。

〇出典:大阪府 枚方市役所 観光にぎわい部 観光交流課「ひらかた菊人形今昔」 〇編集協力・資料:京阪電気鉄道/ひらかたパーク 〇制作:京阪エージェンシー