京阪園芸の伝統 – 002 バラのひらかた

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京阪園芸の伝統Traditional Culture

昭和30年まだ庶民のものではなかったバラ。
バラのひらかたはどのようにして誕生していったのか?
川井 ゆう氏「受け継がれる技、日本の園芸力」
(ガーデナーズ通信Vol.13 2018年春夏号)からの転載記事でご紹介致します。

バラのひらかた

かつて花人形というものがあった。秋の菊人形にあやかって春の花人形である。つつじ、カーネーション、チューリップ、スイートピーなど、様々な花が人形に着せられた。

京阪の培養師が、菊人形専用の人形菊の栽培に並々ならぬ努力をしたことを前号で記した。だが、苦心したのは人形菊ばかりではない。

春も秋と同じく、多くの花人形が長い期間展示された。材料となる花には人形菊のように根がついており水苔で寝巻される。でも保管している間に満開になってはならない。花を着付けている時もおなじ。花人形一体分の花だけを完成したタイミングから咲き始めさせるという「ミラクル」を、培養士たちは常に要求されてきた。

ちなみに花人形の着付けも菊師が行う。菊人形は起源がいちばん古く、多くの場所で興行され歴史も長いため、たまたま菊師と呼ばれているだけで、どんな花でも着付けることができるのだ。

さて。このミラクルな技術、並大抵ではない。日々の研究姿勢が不可欠である。ときにはひらかた公園内の花壇の花の栽培にヒントを得ただろう。また逆に人形の花の栽培が花壇の花の栽培に役立つこともあったにちがいない。

花人形の花は、大正時代には栽培されていたらしい。

京阪園芸(京阪ひらかた園芸企画)が会社として設立された昭和30年(1955)。実はこの年は単なる会社設立の年ではない。「第1回、ローズカーニバル」が行われたのである。戦後まだ10年、バラはまだ庶民のものではなかった。当時の記事に、「今年から秋の菊に対し春はバラを咲かせて『バラのひらかた』と名乗る」とある。それまでの研究の成果が花開いた。

しかし同じ年の秋、早くも前言をよい意味で引っ込めなければならなくなる。バラ園を秋にも公開したからである。春も秋もバラ。それは積み重ねてきた研究のおかげ。現在のローズガーデンのあたりは、「バラ研究園」と呼ばれていた。当時の培養師の気概が頼もしい。お客さまは、研究の成果を見に行ったのだ。

そしてご休息されるお客さまのために、バラ園が一望できる食堂もできた。その名はバラ食堂。現在も同じ場所に建つレストランにローズの名が残されているのはうれしい。

文章:川井 ゆう

1964年大阪府枚方市生まれ。菊人形研究者。博士(家政学)。
著書に『わたしは菊人形バンザイ研究者』(新宿書房)がある。