KEIHAN ENGEI Gardeners

京阪園芸の伝統 – 007 青バラへの探究が生んだ美しい誤算

会社概要

京阪園芸の伝統Traditional Culture

ひらかたパークに東洋一のバラ園を築いた「日本におけるバラの神様」岡本勘治郎氏。
京阪園芸と共に日本のバラ業界をけん引した歴史。
北川 陽子氏「受け継がれる技、日本の園芸力」
(ガーデナーズ通信Vol.18 2020年秋冬号)からの転載記事でご紹介致します。

岡本のもとに集うバラ界の巨人たち

英語では「不可能なもの」「ありえないもの」を青いバラ(Blue Rose)に喩えるという。
そんな言葉から、古来、育種家たちがいかに青バラづくりを追い求め、そして得られずにきたかを窺い知ることができよう。近年、遺伝子組み換え技術で青みがかったバラが誕生してはいるが、つまり遺伝子といういわば「神の領域」にまで踏み込まねばならぬほどに、青バラづくりとは困難な道なのだ。
1955年、岡本勘治郎がひらかたパーク内のバラ研究園での栽培と育種を始めた頃、折しも世界では青バラづくりへの機運が高まっいた。それまで存在しなかったグレーを帯びた薄紫のバラ「グレイパール」が1944年に誕生して以来、これを青バラの元祖として世界中の育種家が「さらなる青」を求めて競争を繰り広げていたという(* 1) 。

こうした動向に、岡本が無関心でいられたはずはない。前号でも触れたバラの花色に関する研究者、九州大学大学(当時)の有隅健一氏とともに、青バラの出現を目指して実験を重ねて いた。
バラの花弁にはそもそも青の色素が存在しないが、咲き進むに従って細胞中にタンニン様の物質が溜まり、これとアントシアニン色素とが結び付いて青黒く変化する現象=ブルーイングが起こる。このブルーイングを追究していけば青バラができるのではないか、と交配を繰り返していく過程で偶然に生まれたのが、深い紅茶色の花弁を持つバラ「ブラックティ」だった。
本来ブルーイングはバラにとっては老化現象であり、特に赤系のバラにおいては好ましくないものとして排除する方向で当時の育種が進んできた。有隅氏は自身の論文において、 ブ ルーイングを「見る者に不快な感じを与えるぐらい混濁した色調を呈する」現象として懐疑的なスタンスながらも「真の青バラに通じる道」の一つとして能性を示唆している(*2)。この若き研究者の着眼点に、おそらく岡本は共感し、強く後押しをしたのだろう。

2人の試行錯誤がたどり着いた先は「真の青バラ」ではなかった。しかし、当時忌み嫌われていたはずのブルーイングしい色と、その名の通り紅茶を思わせる芳香を持つ「美しい誤算」として結実したのだ。発表当時、京都の百貨店で開催したバ ラ展では、ブラックティの花色が珍しいあまり、「なめし革で造られているのか」と手を触れて確かめてみる来場者もいたという(* 3) 。
ブラックティの他にも、岡本の主導のもと京阪園芸において数多くのバラが作出された。本来、バラの生育に適さない日本の気候でもよく育つ、日本のバラを作りたい–そんな思いで日本のバラ育種の黎明期を切り拓いた彼の軌跡そのものといえる品種の数々である。そして、岡本のバラ育種のDNAを継ぐ人材たちが、枚方の地でバラづくりを続けている。
余談ではあるが、世界各地で起きた青バラ育種競争の中で生まれた紫のバラもまた、人気の花色として定着している。紫のバラについては本誌P9(https://keihan-engei.com/images/pdf/2019_vol18.pdf)をご覧 いただきたい。

友だち追加でお得情報GET!