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京阪園芸の伝統 – 008 手から手へ、バラ園芸の魂を継承して

会社概要

京阪園芸の伝統Traditional Culture

ひらかたパークに東洋一のバラ園を築いた「日本におけるバラの神様」岡本勘治郎氏。
京阪園芸と共に日本のバラ業界をけん引した歴史。
北川 陽子氏「受け継がれる技、日本の園芸力」
(ガーデナーズ通信Vol.19 2021年春夏号)からの転載記事でご紹介致します。

手から手へ、バラ園芸の魂を継承して

遊学先の欧州でバラへの造詣を深め、数多くのバラ品種と関連書籍を日本にもたらした〝バラの神様〞岡本勘治郎。彼の指導のもと、1967年からバラの育種に取り組み始めた京阪園芸が、現在に至るまでの約半世紀にわたり世に送り出してきたバラは34品種に及ぶ。
「うちの育種は、言ってみれば〝一子相伝〞のようなもの」と語るのは、人気のローズソムリエとして活躍する一方、バラ育種家としても数々の受賞歴を持つ小山内 健である。
小山内いわく、バラ育種には手間と年月を要するため、代々の育種家はそれぞれ長く現役を務めてきたという。その間に次代を担うべき後輩を見出し、育てる。
「僕がかつて先輩から見よう見まねで教わり、今、後輩に教えている技術は、元をたどれば勘治郎さんに行き着くのでしょうね」

小山内が入社した1989年当時、京阪園芸が管理を担っていたひらかたパークのバラ園は、岡本が監修した当初の姿をとどめていた。すでに造営から30年以上が過ぎていたが、同社のバラ栽培担当者たちは岡本遺愛のバラを大切に育て続けてきたという。同バラ園が2000年に大規模リニューアルを行った後も、その一角に岡本が集めた貴重なオールドローズを植え替え、今も毎年、美しい花を咲かせている。
てっきり、接ぎ木を繰り返すことでバラの命をつないでいるのかと思いきや、そうではないという。「失われたら二度と手に入らない品種もある。できるだけオリジナルの株を枯らさないよう育てるのが、僕らのプライドでもあります」。そう言って微笑む小山内の表情には、ひらかたパークのバラ園で継承されてきた同社の魂を見る思いがした。

さて岡本は、1955年から23年間、京阪園芸の取締役を務め、1978年の初夏、バラが今を盛りと咲き誇る季節に退職を迎えた。岡本の在職中からバラと並ぶもう一つの事業の柱として造園事業を推進してきた同社で、折しもその頃から花と緑で街や生活に潤いをもたらす事業をよりいっそう拡大していく。
そして現在。コロナ・パンデミックにより全世界規模で生活様式の変化を求められる中、自然がもたらす癒やしへのニーズがいまだかつてなく高まっている状況がある。
「花と緑を愛する私たちは、総合造園・園芸会社として快適な生活環境を創造し、社会に貢献します。」
京阪園芸が掲げるこの企業理念は、先人の知恵と技を継承し、柔軟に発展させていく「日本の園芸力」の今日と、未来への可能性を示しているように私は思う。
晩年、自宅に開いたバラ園「桃山花苑」でのバラ作りと、主宰していたバラ雑誌の編集にいそしんだという岡本は、86歳でそのバラに囲まれた生涯の幕を閉じた。若き日に欧州を巡って各地の都市を彩る花々に接し、日本にもその美しさをもたらすことを夢見たであろう岡本も、きっと、同社の今後を楽しみに見守って いるに違いない。

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