東洋一のバラ園と岡本勘治郎

KANZIRO OKAMOTO

東洋一のバラ園と岡本勘治郎

バラとの歩み。今に続く最初の一歩 東洋一のバラ園と岡本勘治郎

岡本勘治郎氏と日本のバラ界

岡本勘治郎氏と日本のバラ界

私たち京阪園芸の前身である京阪ひらかた園芸企画株式会社にて、バラの育種を行った岡本勘治郎氏は、1899年に京都府に生まれ、千葉園芸高等専門学校(現・千葉大学園芸学部)を卒業後、フランスとイギリスに留学しました。その際、多くのバラや関係書物を日本に持ち込み、関西で大日本薔薇会を設立。本格的に帰国した1930年には、ももやま京都伏見に「桃山花園」を開園、育種研究を始めました。しかし、時代は大戦を迎え、せっかく築いたバラ園もイモ畑へ転換せざるを得なくなりました。それでも岡本氏は、軍の園芸講師として従軍しながら、多くのバラを山の手に密かに移植・避難させ、文字どおり日本のバラ界の「萌芽」を守り抜きました。

ひらかたパークのバラ

まだバラが一般家庭には普及していなかった1955年、京阪電鉄は「東洋一のバラ園」の造営を目指し、当時、日本で唯一の英国園芸協会会員であった岡本氏にバラ園造営の監督を依頼しました。そうして、ひらかた大バラ園(ひらかたパーク・ローズガーデンの前身)が誕生したのです。ひらかた大バラ園には、その頃、検疫が厳しく輸入が困難であったオールドローズを集めた「貴重園」と呼ばれる一角がありました。そこは、岡本氏が大変貴重なオールドローズを守り育てるための場所であり、社員でさえも立ち入りが禁止されていました。

なお、氏の功績は後世になって認められ、氏は、日本人で最初の英国王立園芸協会の終身会員となりました。

ひらかたパークのバラ
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